Joy-Conを修理に出した話

みなさんはswitch使ってますか?今は驚異的な品薄も解消されたので欲しい人の手に渡っているといいなあと思う今日この頃です。私は2台目セットがとても欲しいので再販を待ち望んでいます。私が買ったのは2019年8月25日でした。(旧型に3000円のギフト券がついてた頃のやつ)

 

結構ネットではJoy-Conが壊れやすい話を耳にすることが多いと思います。まあ私は無関係だと思ってたのですが、どうぶつの森で友達の島に遊びに行かせてもらったときに少し放置していたら、通話中の友人から

 

「キャラ、勝手に動いてんで」

 

て言われまして。それで初めて壊れてることに気付きました。んでこれがいわゆるドリフトっていう現象であることに気付いたわけです。そんな激しくアクションしてたわけでもなく、プレイしてたのはその当時、FEとか乙女ゲーとかばっかりでした。要するに困らないからそのまま放置してたんですね。

それからしばらくして、11月8日 Joy-Con(L)が片方充電できなくなりました。さすがに困る。修理出すかしばらく悩んで、料金とか調べて11月9日の夕方に発送しました。発送についてですが、任天堂さんの公式にもあるように保証期間外(購入後一年経過)だと自分で払わないといけません。私はクロネコヤマトさんの宅急便コンパクトで発送しました。専用の箱が必要ですが、クッション封筒などで送るのは推奨されていませんし、他に手段が思いつかなかったからです。ネットで伝票を作ると割安になるのでおすすめかもしれません。

ドリフトに関しては、Rの方がドリフトしてるっぽいことがわかったのでついでなので両方梱包材に包んで任天堂さんの修理センターに送りました。

そして11月12日に修理受付が完了、見積もり額が送付されたのが11月13日、修理完了・発送の連絡が11月19日でした。そして手元に届いたのが今日です。

修理の連絡に関してはメールで行われます。安心感ありますね。

ちなみにLもRもドリフトが確認されてました。心当たりがあまりにもない…。充電できないのは致命的なので修理出しましたが、一応両方出してよかったです(発送料変わらないし)。

一応修理代金は片方2000円くらいですね。見積もり・発送メールでも金額は提示されているのでちょうどの金額を手元に用意しておくといいと思います。

ただ、ジョイコンがないのはあまりにも不便なので修理出す際はなんらかのコントローラーの予備がある方がいいです。ゲームする方は特に…。(プロコンあるから問題はなかったけどフィットボクシングとかできないのつらかった)

今思うと春の森発売の時点で壊れてたのわかってたなら保証期間内だったし無料だったのになあ…という後悔があります。もったいね〜。

これからホリデーシーズンに入ることもありますし、修理出そう!と思った方は思い立ったが吉日です。早めに出した方がよいと思います。保証とかとの兼ね合いもありますしね。

ちなみに部品は本当に交換されただけだと思います。ガワにある傷とかそのままでしたし。

ちょっとだけ修理から戻ってきたJoy-Conでマリオデやったらスティックの触り心地全然違ったのでウケました。こんな違うのか…。

大学四年のときに休学した話

7月も中盤に差し掛かり、カレンダーを見ると、当時のことを思い出します。言うほど時間は経っていませんが…。

私はタイトルの通り、大学四年の秋学期に半期の休学をしました。適応障害になり、日常生活がままならなくなり、一番の弊害は文章を読むことができなくなったからです。

多くの大学四年生が、就職か、進学か。そのどちらかを選ぶと思います。私は文系でしたが、院進を考えていました。なので就活はせずに、卒論に打ち込みながら教育実習の準備をしている…だけならば、このようなことにはならなかったと思います。

当時、私は学生団体に所属していました。自分で言うのもなんですが、大学時代はかなりいろんなことに打ち込みました。バイトもそれなりに頑張りましたし、この学生団体も賞を取ったりして。それなりに自分の時間を注いでいました。それこそ「何もやってない時間」などないくらいに。もちろん、学業が一番楽しかったです。自分で目指した道に近いところにあって、この学部・専攻を選んでよかったなーって今でも思います。友達にも恵まれて、学ぶということがすごく楽しかったのです。バイトも扶養控除外れるギリギリくらいまで毎年やっていました。

大学四年になるちょっと前くらいに、学生団体のお誘いを受けました。内容もとても興味があって、やったこと自体は後悔していません。他にも学内の公認のボランティアに近い団体にも所属していた経験はありましたし、毎年そんな感じの活動を行っていました。何をしても新しくて、何をしても楽しくて。そのときは限界なんてものを感じたことはなくて。だからこそ今回も大丈夫だと思っていました。卒論とか院試のこととか、教育実習のこととか。今までと比較にならないくらいの自分の選択に対する責任があったというのに。

学生団体の内容としては、当日までの広報・渉外、講演会を主催する団体だったので、当日は舞台監督とかやっていました。この文章、読む人が読めば私だとわかるし、そうじゃない人も察して頂ければと思うのですが、とにかく一人にかかってる負担が大きい団体でした。0から新しいものを作るというのは非常に大変なことで、前例もないし、心身ともに負担がかかっていました。その団体の講演会が6月にありました。

その団体の活動は本当に忙しくて、手を抜くということができない私は(やるときはめっちゃやる、その代わりやらないときは全然やらない)ゼミの発表も後回しにしてもらったりして、色々と打ち込みました。その期間のことは正直ほとんど覚えていません。とにかく、忙しかった。寝る時間を削らないと仕事が終わらなかった。ゼミ発表に向けての調査活動もしなければいけなかった。もちろん、バイトもしなければいけなかった。そういった中で進路のこともあり、どんどん神経が磨耗していったのだと思います。

実家で暮らしていたので、衣食住にはある程度までは困りませんでしたが(休学したいことを話したら食は保証されなくなった)、明らかにおかしくなっていました。夜眠らずにずっとゼミのことやバイトでのこと(当時は4つ掛け持ちしていました)悩みはつきませんでした。今思えば、若い悩みも多かったです。でも、当時の私に取っては大きな壁で悩まざるを得なくなっていました。

団体の活動がひと段落ついて、ゼミのことをやろう、そう思っても体が動かなくなっていました。徐々に、徐々に体力がなくなっていて、起き上がることすら困難になっていました。4限とか5限にある講義に、起きれずに行けなくなってしまい、初めて単位を落としました。食事に関しても、抜くことが多かったですがそもそも食欲がわかないので、誰かから誘われない限り飲食もあまりしなくなっていました。食事ということに対するリソースを割けなくなっていた以上に、選ぶことが困難になっていました。食べるものを選ぶのがめんどくさいので食べない。アニメとかも好きだけど選ぶのが面倒だから見ない。そうやって生活するうちに布団から出れなくなりました。バイトも、ままならなくなりました。

私は9月に教育実習をする予定でした。もう、その教育実習に行く体力もないけどとりあえず授業計画書も書いて指導教員に提出していたらしい痕跡はGmailから見ることができました。本当に記憶にないのです。やらないければならないからとりあえずやったらしき痕跡は見られるのですが、それ以上に「疲れた」「やめたい」といった感情の思い出に支配されています。

これはもう限界だ、そう悟ったのは7月の末にゼミの発表をしたときのことでした。それまで当然のようにできたことができなくなっていたのです。ゼミでのレジュメの作成もうまくいかず、ゼミではいつも自分なりのベストを尽くしていたのですが、それすらも果たせなくなっていました。教授から「いつもちゃんとしてるのに、どうしちゃったの?」と言われたことがとどめになりました。もう無理だ、って。

それからもなかなか起き上がれず、たまたま大学のいく用事があった日の朝に、大学の近くの精神科を片っ端から連絡をかけて、その日に予約が取れる場所に行こう、そう決意しました。それが8月の中頃。お盆明けの話です。たまたま、二件目でそこそこ大きめの病院の附属の精神科で予約を取ることができて、なんとか命からがら診察を受けました。

そこではもうずっと泣いてたことしか覚えていません。涙が止まりませんでした。とりあえず初診では不眠が重かったこともあり、軽めの眠剤を出してもらいましたが、それも効かず、何度も眠剤を変えることになります。今でも飲んでます。

医者からは教育実習はやめておいた方がいいと言われましたが、なかなか踏ん切りがつかず、大学で手続きをするのも一苦労でした。知り合いの教員についてきてもらってやっと、教育実習のキャンセルを行うことができました。学校側には本当に迷惑をかけてしまってそこでもまた泣きながらずっと謝ってましたが、そのときに言って頂いた教育実習の担当の教員とスタッフの方には「よくあることだから、気にしないで」って言って頂いて、本当に感謝しています。どちらも、卒業まですごくよくしてくださいました。会うたびに「最近どう?」って声をかけてくださって。そこで休学の話も伺って、「休学は本人にとっては大きなことだけど、他の人からしたらよくあることなんだよ」っていうことを教えてもらいました。それと共に休学の制度のことも教えてもらいました。私学でしたが、休学の費用はそこまで高額ではなかったことも休学の理由の一つです。

私はその年中に卒論を書くことが無理だと判断して、療養のための休学を選択しました。最近はツイッターとかでうつの解像度がすごく上がっているので、そうじゃない方も症状くらいは知ってることが多いと思いますが、とりあえず普通の生活送れるようになるまで、ものすごく時間がかかることです。ならないことが一番ですけどね。緩やかによくなったり、悪くなったりを繰り返します。とりあえず、眠いのに眠れないのが一番の辛いことです。

この適応障害である、ということも大学卒業間際に知りました。医者からは病名は一年以上診察を受けて始めて教えて頂けました。幸い、医者にも恵まれ、めっちゃ精神科医を敵視することもなく、うつで体が動かないのに自分で医療費を稼いでた私に、1割負担になる自立支援医療のことを教えてくれました。本当にありがたいことです。大学生が過労で適応障害になるの、冷静になるとおかしいな。自制しろ。

でもまあまだ、治ってないです。治らないです。普通にちゃんと療養しておけばよかったと思います。上記の通り、アルバイトをしながらやってたので結構しんどくて、休学開けてもしんどいのは変わらず。電車に乗ってストレスで吐いてしまって救急車を呼ばれかけたり、電車の中で気絶してしまったりしていました。それでも、なんとか生きようと努力していました。努力しなければ、生きようとすら思えないのです。無気力っていう言葉がふさわしいのかもしれません。

梶井基次郎の『檸檬』という小説の主人公のような状態です。以前はすごく好きだった学業もなかなかに打ち込めなくなり、そして以前元気だったときに好きだったものを壊すカタルシスに酔わされるーーそんな心理状態が続くようになりました。

そんなまともじゃない気力もなく、ただ時間を消費する中で起きている時間というのはなかなかに生きづらいことです。何もしてない時間が苦手で、とにかく落ち着きがなかったということにこのときに気付くことができました。空虚な時間がただただひたすらにしんどかったです。

それ以上になんでもかんでも決断を先送りにしてしまうようになりました。選択するということが本当に辛かったのだと今なら思えますが、そんな自分を責めてしまうことの繰り返しで、セルフネグレクトのような状態が続き、まあなんていうかいまに至るというお話です。

何が言いたいか言うと、きちんとしんどいな、って思ったときは然るべき人に報告・連絡・相談を行うことです。抱え込む必要性なんて、いくつになっても無いと思いますしね。

学業に対する情熱のともしびが消えてしまったわけではないので、いつか大学院は行って学位取りたいとは思っています。先が見えない今だからこそ、しっかりと希望を持っていたいですね。

読書感想文のトレンド入り

ツイッターって諸行無常なので、トレンド入りしても忘れ去られるじゃないですか。でもインターネットに魂を漬け込んだ邪悪な物体で、なおかつ絶対に忘れたくねえ、風化させたくねえって気持ちがあるのでそれに抗おうとしています。川の流れをわざわざ汲み取るよくわかんねえ物体です。

読書感想文、私は苦手でしたね。シンプルに感想を書くって行為は難しい。よく二次創作作家に感想を伝えよう!みたいなのツイッターで流れてきますけど、それってめちゃめちゃ難しい行為なんですよ。それと同時に、創作するっていうのもまた才能です。熱量を注げる量は人によって違うし、方向性もまた違っています。ネットの創作してる人崇める風潮すげ〜って思ってます。私はしないので…。

ブログとかも別に需要とかじゃなくて、ただただ自分のためにやっているだけです。承認されてえとかそういうのはほぼないです。なんとなく書いてるだけです。見返すこともほとんどしません。書きたいから書いてるだけなんですよね。それもまた、したくない人からしたら特異なことなんだと思いますが。文章を書くという行為はそれ相応の時間と痛みが伴うものです。読書感想文もまた然り。400字詰めの原稿用紙5枚分のものを書きましょうって言われてかけるもんじゃないですわ。課題図書として指定されてるのはまあ、いろんな思惑を感じなくはないですが、いろんな意味で平等だなとは思います。本普段読まない人とかまず選び方わからんですし。読む習慣あることが当たり前みたいに言われることも多々ありますが、それ以前の問題なんですよね。

まあそれはそうとして、書くということです。好きでもないものに、文章かけるか?って話なんですよね。私はあまりにも嫌だったので出さなかったこともありますが…。でも文章としてアウトプットする行為は非常に重要だとも考えています。感想文じゃないにしてもレポートとか、代替する手段はいくらでもあるように思うんですよね。2000字のレポートでもよくない?参考文献の書き方とか剽窃とかの話とかでもよくない?って思ってしまう部分はあります。

ツイッターが普及して誰でも手軽に140字の作文を行う現代、短い文章に多くの情報量を詰め込むことになれてしまっている気がします。私今2000字の文章かける気がしねえ。読書感想文のあり方というか、なんでもインターネットで済ませている今の時代だからこそアナログは重要だし、違う手段に触れて世界を広げることは重要かもしれません。別の代替手段が見つかるといいなあと思います。

2020年買ってよかったもの【上半期編】

上半期ということは、下半期もあるんでしょう。知らんけどな。

今私は一人暮らしをしています。それまでは実家で家事の類を一切せず生きてきたのですがなんとか生きてきました。ちなみに去年の10月に引っ越しました。

 

・外付けHDD4TB(2月)

スカステ契約したので買いました。いっぱい録画できるので幸せです。

・デスクとチェア(3月)

それまでは座椅子でパソコン使ってました。ありとあらゆるモチベーションが低下してたのでデスクを購入したのですが、あらゆる作業が快適になります。正直今の時代、パソコンなくてもなんとかなるっちゃなりますけど、パソコンを使いまくる人間は絶対にデスクを買ったほうがいいって実感しました。

チェアはやっすいの適当に買ったんですけど後悔してます。

・包丁(3月)

ニトリのまな板とセットになってるやつを買いました。それまでなかったんか?お前マジ?って感じですが、マジです。包丁なくても正直生活はできるんだよなあ〜〜。

・あつまれ!どうぶつの森(3月)

説明不要。どう森のおかげで暦を正しく認識できてる節ある。

オランピアソワレ(4月)

めっちゃいい乙女ゲでした たのし〜〜

・AppleWatch3(4月)

自分への誕プレ(失笑)で買いました。こういう高価なものって何かと理由がないと買えないですわ。AppleWatch+リングフィットで最強になってます。ガジェット買ったときの無敵感は最高ですわ〜!!!

というか全然使ってなかったし、RFAも全然やってなかったんですけどなぜかここ数日存在を思い出してやってます。めちゃめちゃオススメです。RFA+applewatchのゆるゆるRFAプレイヤーいたら語り合いたいですね。毎日RFA少しでいいからやれ。

・ワイヤレスイヤホン(4月)

かがくのちからって すげー!

・ankerの20100mAhのモバブ(5月)

なんか地震とか起きたらガジェット中毒だし死ぬなって思って予備用に買った。思ったよりデカイけど安心感がそのぶんすごい。ガジェット中毒者は絶対買ったほうがいい大容量モバイルバッテリー。

ヴァニタスの手記8巻(6月)

めっちゃ面白かったので読んで欲しい〜ていうかこれで単独記事今度作ろ…ってなりました。感想記事を作れ。

今年が半分終わる

今年、半分終わるらしいってよ。マジ?ブログの存在もよく忘れているので本当にクズです。申し訳ねえ〜。

まあいうてもコロナが猛威をふるってて3月くらいからコロナのことしか考えてないですね。嘘ですけど。2割くらいはコロナが占めています。

私は演劇鑑賞とかも好きなオタクなのですが、大好きなエリザベートも全公演中止となりました。宝塚も公演再開が発表されましたが、それでも3ヶ月くらいは公演中止していましたからね。自分が何でカレンダーというか、時間っていうものを意識しているかというとやっぱり趣味の部分が大きいんですよね。3月くらいから見通しが立たなくなって、まあ要するに3月から時間止まってるような感覚です。自分の中で何か時が進むような事案があるわけでもないので、ずっと時間が止まっています。明日が当たり前にくるとかこないとか、そういう問題じゃなくて、ずっと変わらない今日を繰り返しているような感覚。「ハレ」と「ケ」みたいな。普段の日常がケだとしたら、趣味が存分に発揮されるような日はハレの日なんでしょうね。そのハレの日のために頑張っている日常がなくなって、結局生活にメリハリがないというか。

日付感覚みたいなものはラジオで養っているのであんまりダメージはないんですけど、この明日が見えない感覚って忘れちゃいけないんだろうなって思います。今日を大事にするというか、明日をちゃんともたらそうとする考え。昨日と今日に閉じ込められて、繰り返されるような感覚は自分で矯正できる範囲ですれば良いとは思うのですが、なかなか外的要因に頼っていたんだなということがわかります。自分を変えることは難しいですね。もっと柔軟に考えなきゃいけないですが、先の見通しの立たなさでそれすらも危うい。エンタメ以外でもそう言ったものを養うことはもちろん可能ではあると思うのですが、なんせ趣味に生かされてこの世にいるだけなので、このまま何もなかったら未練がない〜!って死にそうで怖いです。まあこんなこと言ってる限りは全然大丈夫でしょうけど。希望とかないと明日を見出すことが難しくてどんどん体の中に不浄なものが溜まっていくのがわかります。何をエンジンにして毎日を送るか、今後の課題です。

私はヅカの花組のCASANOVAという公演が好きなのですが、その中で「人生には恋と冒険が必要」みたいなニュアンスのセリフがあります。私はまあ恋というものは知らず、縁が遠い人間なので置いといて、何で冒険するかは人それぞれだと思います。何で冒険しようか、冒険の材料を探して行きたい。そんな2020年上半期総括です。

プレイする前からゲームにハマるのは難しい

難しくないっすか???なのにこの世には限定版が蔓延っている…許せねえ…。そんな気持ちで書いてます。

まあ去年でいうとFE3Hドハマりしたのに、通常盤しか持ってないです。ifは限定版買ったんですけどね…。いくらシリーズもののゲームでお布施したいな、って思ってても、ゲームってプレイする前にハマることはできないじゃないですか。システムとか、シナリオとかもそうですし、どうしても肌に合わないってことありますから。ちょうどFE3H出たときはゲーマーはゲーマーでもソシャゲガチっていたので、情報を追うこともなく、「今回のFEはシナリオがめちゃめちゃ良い」っていうツイッターの評判でswitchごと買ったんですよね。

そしたらめちゃめちゃ面白い。業が深い。自分の手で采配を行うっていう設定だからなおさらしんどい。それがいい。癖になる。このゲームについて一生語りたいくらい作り込まれてるしのめり込む。

なので限定版欲しいな〜って思ったときはときすでに遅し。再販して欲しい気持ちはありますが、これもまた一興。仕方のないことです。

この手の商法に関しては乙女ゲームとか顕著ですよね。店舗別に攻略キャラクターの描き下ろしイラストの何某が付いてきたりとか。

でも正直買う前にそのキャラクターのこと、声優とビジュアルと少しの設定しかわからないじゃないですか。ネットとかでの評判見てから買おうにも、すでに特典は売り切れてたりしますし、追加で買おうにも同じように。もう最初から限定版予約しとけっていう話…だけならまだしも、この好きなキャラクターが誰になるかわからない問題は結構切実です。せめて後から買えるように…なって欲しいなあ…そんなことを思ってしまう今日この頃です。