大学四年のときに休学した話

7月も中盤に差し掛かり、カレンダーを見ると、当時のことを思い出します。言うほど時間は経っていませんが…。

私はタイトルの通り、大学四年の秋学期に半期の休学をしました。適応障害になり、日常生活がままならなくなり、一番の弊害は文章を読むことができなくなったからです。

多くの大学四年生が、就職か、進学か。そのどちらかを選ぶと思います。私は文系でしたが、院進を考えていました。なので就活はせずに、卒論に打ち込みながら教育実習の準備をしている…だけならば、このようなことにはならなかったと思います。

当時、私は学生団体に所属していました。自分で言うのもなんですが、大学時代はかなりいろんなことに打ち込みました。バイトもそれなりに頑張りましたし、この学生団体も賞を取ったりして。それなりに自分の時間を注いでいました。それこそ「何もやってない時間」などないくらいに。もちろん、学業が一番楽しかったです。自分で目指した道に近いところにあって、この学部・専攻を選んでよかったなーって今でも思います。友達にも恵まれて、学ぶということがすごく楽しかったのです。バイトも扶養控除外れるギリギリくらいまで毎年やっていました。

大学四年になるちょっと前くらいに、学生団体のお誘いを受けました。内容もとても興味があって、やったこと自体は後悔していません。他にも学内の公認のボランティアに近い団体にも所属していた経験はありましたし、毎年そんな感じの活動を行っていました。何をしても新しくて、何をしても楽しくて。そのときは限界なんてものを感じたことはなくて。だからこそ今回も大丈夫だと思っていました。卒論とか院試のこととか、教育実習のこととか。今までと比較にならないくらいの自分の選択に対する責任があったというのに。

学生団体の内容としては、当日までの広報・渉外、講演会を主催する団体だったので、当日は舞台監督とかやっていました。この文章、読む人が読めば私だとわかるし、そうじゃない人も察して頂ければと思うのですが、とにかく一人にかかってる負担が大きい団体でした。0から新しいものを作るというのは非常に大変なことで、前例もないし、心身ともに負担がかかっていました。その団体の講演会が6月にありました。

その団体の活動は本当に忙しくて、手を抜くということができない私は(やるときはめっちゃやる、その代わりやらないときは全然やらない)ゼミの発表も後回しにしてもらったりして、色々と打ち込みました。その期間のことは正直ほとんど覚えていません。とにかく、忙しかった。寝る時間を削らないと仕事が終わらなかった。ゼミ発表に向けての調査活動もしなければいけなかった。もちろん、バイトもしなければいけなかった。そういった中で進路のこともあり、どんどん神経が磨耗していったのだと思います。

実家で暮らしていたので、衣食住にはある程度までは困りませんでしたが(休学したいことを話したら食は保証されなくなった)、明らかにおかしくなっていました。夜眠らずにずっとゼミのことやバイトでのこと(当時は4つ掛け持ちしていました)悩みはつきませんでした。今思えば、若い悩みも多かったです。でも、当時の私に取っては大きな壁で悩まざるを得なくなっていました。

団体の活動がひと段落ついて、ゼミのことをやろう、そう思っても体が動かなくなっていました。徐々に、徐々に体力がなくなっていて、起き上がることすら困難になっていました。4限とか5限にある講義に、起きれずに行けなくなってしまい、初めて単位を落としました。食事に関しても、抜くことが多かったですがそもそも食欲がわかないので、誰かから誘われない限り飲食もあまりしなくなっていました。食事ということに対するリソースを割けなくなっていた以上に、選ぶことが困難になっていました。食べるものを選ぶのがめんどくさいので食べない。アニメとかも好きだけど選ぶのが面倒だから見ない。そうやって生活するうちに布団から出れなくなりました。バイトも、ままならなくなりました。

私は9月に教育実習をする予定でした。もう、その教育実習に行く体力もないけどとりあえず授業計画書も書いて指導教員に提出していたらしい痕跡はGmailから見ることができました。本当に記憶にないのです。やらないければならないからとりあえずやったらしき痕跡は見られるのですが、それ以上に「疲れた」「やめたい」といった感情の思い出に支配されています。

これはもう限界だ、そう悟ったのは7月の末にゼミの発表をしたときのことでした。それまで当然のようにできたことができなくなっていたのです。ゼミでのレジュメの作成もうまくいかず、ゼミではいつも自分なりのベストを尽くしていたのですが、それすらも果たせなくなっていました。教授から「いつもちゃんとしてるのに、どうしちゃったの?」と言われたことがとどめになりました。もう無理だ、って。

それからもなかなか起き上がれず、たまたま大学のいく用事があった日の朝に、大学の近くの精神科を片っ端から連絡をかけて、その日に予約が取れる場所に行こう、そう決意しました。それが8月の中頃。お盆明けの話です。たまたま、二件目でそこそこ大きめの病院の附属の精神科で予約を取ることができて、なんとか命からがら診察を受けました。

そこではもうずっと泣いてたことしか覚えていません。涙が止まりませんでした。とりあえず初診では不眠が重かったこともあり、軽めの眠剤を出してもらいましたが、それも効かず、何度も眠剤を変えることになります。今でも飲んでます。

医者からは教育実習はやめておいた方がいいと言われましたが、なかなか踏ん切りがつかず、大学で手続きをするのも一苦労でした。知り合いの教員についてきてもらってやっと、教育実習のキャンセルを行うことができました。学校側には本当に迷惑をかけてしまってそこでもまた泣きながらずっと謝ってましたが、そのときに言って頂いた教育実習の担当の教員とスタッフの方には「よくあることだから、気にしないで」って言って頂いて、本当に感謝しています。どちらも、卒業まですごくよくしてくださいました。会うたびに「最近どう?」って声をかけてくださって。そこで休学の話も伺って、「休学は本人にとっては大きなことだけど、他の人からしたらよくあることなんだよ」っていうことを教えてもらいました。それと共に休学の制度のことも教えてもらいました。私学でしたが、休学の費用はそこまで高額ではなかったことも休学の理由の一つです。

私はその年中に卒論を書くことが無理だと判断して、療養のための休学を選択しました。最近はツイッターとかでうつの解像度がすごく上がっているので、そうじゃない方も症状くらいは知ってることが多いと思いますが、とりあえず普通の生活送れるようになるまで、ものすごく時間がかかることです。ならないことが一番ですけどね。緩やかによくなったり、悪くなったりを繰り返します。とりあえず、眠いのに眠れないのが一番の辛いことです。

この適応障害である、ということも大学卒業間際に知りました。医者からは病名は一年以上診察を受けて始めて教えて頂けました。幸い、医者にも恵まれ、めっちゃ精神科医を敵視することもなく、うつで体が動かないのに自分で医療費を稼いでた私に、1割負担になる自立支援医療のことを教えてくれました。本当にありがたいことです。大学生が過労で適応障害になるの、冷静になるとおかしいな。自制しろ。

でもまあまだ、治ってないです。治らないです。普通にちゃんと療養しておけばよかったと思います。上記の通り、アルバイトをしながらやってたので結構しんどくて、休学開けてもしんどいのは変わらず。電車に乗ってストレスで吐いてしまって救急車を呼ばれかけたり、電車の中で気絶してしまったりしていました。それでも、なんとか生きようと努力していました。努力しなければ、生きようとすら思えないのです。無気力っていう言葉がふさわしいのかもしれません。

梶井基次郎の『檸檬』という小説の主人公のような状態です。以前はすごく好きだった学業もなかなかに打ち込めなくなり、そして以前元気だったときに好きだったものを壊すカタルシスに酔わされるーーそんな心理状態が続くようになりました。

そんなまともじゃない気力もなく、ただ時間を消費する中で起きている時間というのはなかなかに生きづらいことです。何もしてない時間が苦手で、とにかく落ち着きがなかったということにこのときに気付くことができました。空虚な時間がただただひたすらにしんどかったです。

それ以上になんでもかんでも決断を先送りにしてしまうようになりました。選択するということが本当に辛かったのだと今なら思えますが、そんな自分を責めてしまうことの繰り返しで、セルフネグレクトのような状態が続き、まあなんていうかいまに至るというお話です。

何が言いたいか言うと、きちんとしんどいな、って思ったときは然るべき人に報告・連絡・相談を行うことです。抱え込む必要性なんて、いくつになっても無いと思いますしね。

学業に対する情熱のともしびが消えてしまったわけではないので、いつか大学院は行って学位取りたいとは思っています。先が見えない今だからこそ、しっかりと希望を持っていたいですね。